祈りが叶うまで

大野さんのこと。140字には収まらない思い。

パグの絵から思うこと

前回の個展で発表されたパグの絵。初めて原画を観て、あの時起こったことにあらためて憤りを感じている。

指摘されていた「目」に映るものなんて、あれだけのことでさんざん憶測されたんだと。原画を観た後これまで以上に悲しくなる。

あの時、ファンになってまだ年数も浅く、見ているだけだったSNS。信じられないほどの酷い言葉が並んでいた。
大野さん自身が会見し交際を否定したことで、私自身はそれが真実だろうと思った。絵に関して騒がれた時も彼がそんなこと?と信じなかった。
ただ、彼への誹謗中傷は止まらず、見るのが苦しい日々が続いた。様々な検証をしてくださる方がいて、本当に救われた。大野さんにも見てほしいと思った。きっと見てくれた、今そう思っている。

初めてこの目で観たパグの絵。とても魅力に溢れる絵だった。作者も納得できた作品だったと思う。奈良さんも褒めてくださっていた。大野さんにとって、新境地を拓いた絵だと思う。そんな大切な作品が長く仕舞わなければいけなくなったことの重み。

大野さんは自分が悪いと言ったけれど…違う。用意されたシナリオで何かが動いた。それがなければ起こらなかったことだったと思っている。
シナリオを信じて、作品と彼を罵倒した人がいた。いまだにあの時拡散された内容を鵜呑みにしている人がいる。悪意を持って拡散する人までいる。
考えても考えても悲しい。あってはならないことだと思う。

それでも今回、またファンに見せてくれた。自分は何を言われてもいいと覚悟して。
傷ついたのは誰でもない描いた彼自身。悩んで葛藤して自分を責め続けた年月でどれだけ心をすり減らしたんだろう。
その辛い日々も自身の責任として背負い、新たなパグを描いた。ファンのために。あの時彼を守ろうと動いた人のために。彼を信じた人のために。
年末ライブの「守ってくれてありがとう」の言葉にはその意味が含まれていると思う。
どこまでもファンに寄り添い誠実な人。

作品から作者の思いを感じ取ろうとするのは普通にあることだと思う。大野さんはどう感じるのも見る人次第と言ってくれる人だけど、だからと言って何でも私生活と結びつけるのは違うのではないか。
もちろん彼の生き方は作品に出ているだろう。でも、描いたものがフィクションなのかノンフィクションなのかは彼にしか分からないこと。

大野さんの描いてきたいくつもの細密画には沢山の様々なモチーフが描かれている。全てが現実のものではないことは一目瞭然。
1つ1つに何か意味を付けたくなる気持ちも分からないではない。どう思いどう感じるかは自由ではあるけど、それはあくまでも作品の中の世界。

絵に描かれたものから推測して事実であると決めつけ、彼の人間性まで否定するツイートを見るたびに悲しくて震えた。
新作の細密画にも色々な憶測が飛び、侮辱するような言葉を並べて批判する人がいてその時の感情がよみがえる。

絵によっては何かを伝えたい思いもあったかもしれない。でも、描いてるその時に頭に浮かんだこと思ったこと、描きたいと思ったものを表現する、その自由を奪うことは誰にも許されないことだと思う。

ずっと誠実でいてくれる人。
もう二度と彼を苦しませることが起こりませんように。そう強く願っている。