祈りが叶うまで

大野さんのこと。140字には収まらない思い。

FREESTYLE2020 作品展を訪れて

FREESTYLE 2020 SATOSHI OHNO EXHIBITION IN OSAKA

私にとって初めての大野さんの個展鑑賞。
生で観ると、当たり前だけど紙に印刷されたものとは違っていて。色も質感も。そして一つ一つの細かさに何度も驚いた。近くに寄ったり離れたり、同じ作品の前を行ったり来たり。次々と現れる作品は私の想像をはるかに超えていた。

昔の作品はエネルギッシュさが眩しい。
沢山の小さなフィギュア。細かなところまでこだわる遊び心、それぞれのセンス、並べられた時の一体感。忙しい日々の中没頭して作る姿を想像し、その頃から大野さんを見ていたかったと思った。
その後技術が上がり2度目の個展もあり、楽しむより楽しませようとする意識が働いたこともあったと思う。それでも、迷いの中でもずっと、楽しもうとする彼もいたと感じる。

ちょんまげの子。大野さんの真っ直ぐな思いの伝わる絵。
裏の描き方、本来私はああいう細かな集合体は見るのが辛い方だけど、これは見逃したくないと思ってずっと見ていた。
丁寧に描かれた美しく光って見える一つ一つに思いがこもる。うわべだけではない、心の底からの願い。智とめぐるで「希望の絵に…絶対にしたくて」と話すあの横顔を思い出していた。
大阪の展示では順路は裏が先。表はだいぶ過ぎてから現れた。その見せ方も印象的だった。
大野さんにこんなにも惹かれるのは、その人柄や考え方によるところも大きいと感じてる。そんな彼の心根が現れた作品だと思う。

烏賊の絵の前に立った時、大きな作品ではないながらも、ものすごく惹き込まれた。作品集で観ていた時には分からなかったことが見えた。自由に描けた喜びのようなキラキラしたものと作品に対する追求心を感じて。そして、この人の才能やセンスは自由であってほしいと思った。

数々の抽象画はタイトルの掲示はなく、その時観た人の気持ちが反映されるようにも思う。
私はと言うと、プラスもマイナスも感じながらも「力」を感じた。大野さんの奥底にあるものが滲み出ているような。描きたいとか伝えたいとかそういうものとは違う、その時の感情のおもむくまま絵の具を置く、垂らす、散らす、そこに彼の心の中が現れている、そんな風に思った。さまざまな色彩やキャンバスの中の配置から、無になり没頭する彼の姿を思い浮かべた。無心になれた?その時間の中で彼自身が楽しめる瞬間があり、何かの力が生まれたかもしれない。私の勝手な想像だけれど。

圧倒された新作の大きな細密画。この作品を2週間で描き上げたと聞き驚く。集中力がすごい。これまでのことを振り返り、心の整理をしながら描いたのだろうか。
彼の心の中のことは分からない。あくまでも私の思いだけれど、彼はこれまでのことに感謝し、終えたのだと。大きなその絵の前で私はそう感じた。

ジャニーさんの絵。
何か参考にしたものはあっただろうか?私はアートに詳しくないけど、初めての画法に取り組み、あれほどのものを描きあげるのはセンスの塊だと感じたし、何よりもジャニーさんへの愛情と感謝の想いが生み出した作品だと思う。
描くことで彼の中の区切りになり、絵に向き合う時間はジャニーさんと語り合う時間でもあったかな。
感謝とお別れ…「じゃあね!」と大野さんの声が聴こえるようなそんな絵だった。

ランタンの絵からは彼の中の新たな希望や穏やかな空気を感じた。
大阪ではジャニーさんの絵を挟んで飾られていて。ジャニーさんとの大切な思い出や感謝の気持ちを柔らかな光で包みたかった?これからの新たな自分をジャニーさんにも感じてほしかった?と色々な想像をしてしまう。
新作の中でも細密画やジャニーさんの絵は思いを込めて描かれた絵だと感じている。でも、このランタンの絵は少し違う気がした。“描きたい”気持ちが湧き上がって描いた絵なのではないかと。作品集のインタビューでは触れられていなかったので、個展開催時期が迫ってから描いたのかもしれない。
キャンプと出会いランタンに出会い、自らを癒し救ってくれる時間の中で これを描きたい! と思うのは彼にとって自然なことのように感じる。彼が欲していた“描きたいものを描きたい時に描く”こと。その感覚が戻ってきたのだとしたら…彼自身も嬉しかったと思う。

そして、なんと言ってもパグ。パグ3作の前から離れられなかった。
新しいパグの絵は塗り重ねられた色に思いを感じた。大野さんの真っ直ぐで誠実な気持ちが伝わってきてジンときた。
年月を経たパグちゃんは、より一層彼の犬になっているように見えた。可愛がられてると分かるお顔。常に彼を癒してくれていると思う。
前作の2枚のパグの絵。色合いにもタッチにもとても惹かれた。これを大野さんが描いたのかと衝撃すら感じた。彼のファンとしてではなくても、目にしたら惹かれていたと思う。
ストレートに感性を感じるし、とにかく魅力的な絵。ずっとそこから離れたくなかった。
かつて、この絵が思いも寄らない方向に行ってしまったことが残念でならなくて、その場でも憤りの気持ちがあふれた。(そのことは別記事に)
見せてくれてありがとう。描いてくれてありがとう。パグの絵の前で涙しながら、ずっとそう思っていた。

映像作品。白く包まれた大野さんが動く。前衛的なダンス?実は、そのシュールな雰囲気に圧倒され最後に近づいてきたこと以外記憶が飛んでしまっている。できればもう一度観たかった。
ただ思ったのは、大野さんにはやりたいことがあるんじゃないかということ。今までにはなかったパフォーマンスを、個展という個人の枠で見せてくれたことに意味を感じている。

出口近くの肖像写真を観て、会報の手紙にあった「良いことも悪いこともたくさんありました」を思い出した。表情に彼の歴史が刻まれていた。ものすごく愛おしくなった。
守りたい。これまで沢山の幸せを受け取ったことに感謝を伝えたい。そう思った。
彼自身が幸せであってほしいと強く願った。

作品を観て思ったのは、大野さんの持つ能力や魅力の大きさは計り知れず、その力は様々な分野に広がっているということ。
それぞれの分野に生まれ持ったセンスがあり、努力を重ねることで才能が開花しクオリティーを高め魅力を増していった。そんな彼の生み出すものに惹かれ求める人がいるのは当然のことだけれど…多くの力を持ちながら決められた狭い世界にいるのは、凡人には想像できない葛藤があるのではとも思う。

アートに限らず、大野さんの感性から生まれ出るものを遮りたくない。彼の創作そのものを初めて観て、これまで以上にそう望むようになった。歌もダンスもお芝居も彼の中から生まれるものであり、彼自身が表現したいと思った時には思い切り没頭できることを願う。
「何事にも縛られず」
休止会見で彼が口にしたこの言葉が叶うことを祈っている。
“嵐の”という枠には収まりきらなかったものを表現したくなったなら、とことん突き進んでほしい。
「嵐としての活動を終えたい」
そこには、その枠を取り払った先にも“表現する未来がある”と感じる。
今は大野さんが自分自身の中で何が湧き上がってくるのか待っている時間なのではないか。私はそう思い、彼からの発信を待とうと思う。

長い“描けない”時期があったことを彼自身が話していた。彼にとって創作は仕事ではないけれど、フィギュアを創り絵を描くことで心のバランスを取ることもあったと思う。
今回の作品展開催を知った時、描けるようになったんだ!の嬉しさと共に無理してない?と心配になる気持ちもあった。
その後作品集のインタビューを読むと、コロナ禍での自粛は絵に向かうきっかけになり、描くうちに今後への糸口を感じるところまで来たのかもしれない、と思った。
「描きたくなったら、描いていくよ」作品集のその言葉からは“自由”を感じた。

巡りながら何度も涙をこらえた。こらえきれなかった時もあった。
大野さんが人生の半分以上を過ごした世界で共にいた作品たち。その空間を巡るのは彼の軌跡や思いを感じる時間になった。時に切なさもあったけれどとても幸せだった。
公開することで自由を奪われる側面もあると思う。それでもファンが喜ぶならと見せてくれた気持ちを大事に受け取りたい。

今思う。大野さんが望むのなら、彼の思うままにやりたいことを自由に表現する場があればと。発信する時が来たら、可能性や自由を妨げることなく表現できる環境にいることを願ってやまない。

初めて作品展を訪れて、より一層大野さんという人を好きになった。
このタイミングに作品を観る機会をいただけたことに心から感謝している。
今回、コロナ禍で断念した人も多い。まだ観たことがない彼のファンの子にも、いつか観る機会がありますように。

大野智さま、TEAM FREESTYLEの皆さま 本当にありがとうございました。